仕事を辞めたら自分でもすっかり忘れていた夢が偶然叶ってしまった話。

こんにちはインベスターサーファーのLEEです😏

 

皆さんは昔思っていた夢で現在は自分自身でもすっかり忘れてしまってる夢ってありますか?

僕の場合はあったんです、ホントに叶ってから思い出したぐらいです笑。

 

リタイアして時間とお金の自由が手に入ったことにより自分でもすっかり忘れていた夢が実現したお話です。

 

ハワイに移住して1年半程経過した頃、長男が高校の柔道部に入部しました。

柔道部と言ってもアメリカの部活は3ヶ月クールで代わっていく為、遊びのようなものです。

実は私は大学では体育学部の武道学科柔道コースを卒業しています。

そしてある日、長男が柔道の試合に出るというので応援に行きました。

そこである人に出会ったのです。

その人はハワイの日系人でオリンピックの柔道で銀メダルを獲得したハワイのヒーローです。

そして、その人物とは面識こそありませんでしたが私の大学の先輩でもありましたので挨拶だけはしておこうと思い自己紹介をしにいきました。

しばらく話しているうちに、その人物が「今度大学で柔道部を新設するから監督をやらないか?」と言いだしました。

実は私の大学の同期生はほとんど日本の強豪校の監督になっています。

私も大学を卒業する時は学校の先生を目指していて柔道の指導者になりたかったのですが、なかなか受け入れ先の学校が見つからず断念し、柔道整復師の道に進んだ経緯がありました。

ですから監督を打診された瞬間、忘れていた自分の夢が蘇ってきました。

そして、その場で快諾しました。

もしあの時、私が会社勤めをしていたらオファーを受け入れる事など出来ずに夢は叶わなかったでしょう。

その場で即決できたのは私に時間的自由、経済的自由があったからに他なりません。

しかし、実は私は柔道着に袖を通すのが20年ぶりでした笑。

慌てて柔道着を注文し、昔とすっかり変わってしまったルールを勉強し直しました笑。

それからまもなく新学期が始まると同時に柔道部もスタートしましたが

一期生の柔道部員はたったの2人しかいませんでした。

しかし、2人ともハワイ州の高校チャンピオンで柔道銀メダリストの先生がスカウトしてきてくれた生徒達でした。

ただ生徒達は経験者といえどもアメリカの柔道ですから日本の柔道とはまったく別物で衝撃的でした笑。

ですから私達はBack to Basicを合言葉に基礎を徹底的にやり直しました。

しかし生徒は2人しかいません。

柔道というのは相手がいて初めて強くなれるスポーツですから、いろんなタイプの相手と練習しなければなりません。

仕方なく44歳だった私は生徒達と一緒に練習を始めました。

日本の同期でもこの年齢で生徒と一緒に練習してる者はいないと思いますし、私も本心は指導だけで練習はしたくありませんでした笑。

 

そして1年近く経った頃、テキサスで行われる全米学生選手権に出場する機会に恵まれました。

 

私もメインランドに行くこと自体22年ぶりでしたがホノルルからサンフランシスコで乗り換えダラスに到着してから更にレンタカーで4時間という長旅を終え、ようやく試合会場のテキサス州立A&M大学に到着しました。

生徒達も5kgほどの減量と長旅で疲れていましたが無事に前日計量をパスした後は貪るように食事をしていました笑。

 

 

そして次の日いよいよ試合当日

2人の生徒の緊張感が伝わってきます

 

そしてようやく怪我も無く大会が終了しました。

 

なんと2人共に全米学生柔道選手権を優勝する事が出来たのです。

アントニー60kg級優勝

マイカ66kg級優勝

2人共にアメリカチャンピオンになったのです‼️

感無量としか言いようがありませんでした。

 

 

昔の夢は柔道の指導者になって日本チャンピオンを育ててみたいという事でしたが、まさかそれがハワイで叶うとは夢にも思いませんでした。

ハワイの人達に感謝です。

Special Mahalo‼︎

ABOUTこの記事をかいた人

TOSHIYUKI ”SAM” LEE

1971年大阪生まれ。18歳から東京の大学に進学し卒業後、柔道整復師の夜間の専門学校に3年間通う。国家資格を取得後26歳で東京に整骨院を開業。 38歳の時にハワイに移住するにはどうすれば良いかと試行錯誤し不動産投資と出会う。その後39歳でリタイアし42歳でハワイに家族と移住する。 年間300日はサーフィンをする。